ディエゴ・セギー
Diego Pablo Segui 1937年8月17日、キューバ・オルギン生まれ。
史上ただ一人、シアトルに本拠を置いた2球団に在籍した選手(投手)
1958年CINと契約、メジャーには62年カンザスシティ・アスレティックスでデビューし、同年先発・救援両刀で8勝。
2年目以降は先発中心も、チームが100敗以上した64年リーグ最多敗戦(17)、65年も15敗と苦戦。
66年ワシントン・セネタース(現TEX)に移るも1年でアスレティックスへ復帰。
翌68年のアスレティックスの本拠地移転を経験(カンザスシティ→現在も本拠としているオークランド)した後、69年の新球団拡張ドラフトでシアトル・パイロッツに加入して同年12勝12セーブの好成績。
シアトル・パイロッツ自体はあまりにも本拠の観客動員が少なかったため財政的に行き詰まり、わずか1年で現コミッショナーのバド・セリグが買収してミルウォーキーに移転(現在のMIL。セリグがコミッショナーになった後も娘のウェンディがオーナーを04まで引き継いだ)。
セギーは70年ミルウォーキーに行かずに、3度目のアスレティックス在籍。この年に10勝10敗2セーブ、投球回数規定ちょうどの162回で防御率1位(2,56)を獲得。
その後もSTL(73年17セーブ)、BOSと渡り歩いて77年これも新球団のシアトル・マリナーズに移籍。
キャリアを買われて開幕投手もつとめたが39歳の年齢には勝てず0勝7敗に終わってメジャーを去った。
その後も50歳近くまでメキシコで現役をつとめたという。
なお、このDi・セギー以外にパイロッツ・マリナーズのシアトル2球団に籍を置いた選手はいない。
通産15年639試合、92勝111敗71セーブ、防御率3,81で主なタイトルは70年最優秀防御率。
息子のデヴィッドも父と同じ15年間、37歳までプレーし5度の3割と好守で鳴らしたスイッチの一塁手。