マイク・スコット
Michael Warren Scott
1955年生まれ、76年NYMドラフト2位、79年メジャー昇格
日本では古巣チームや世話になった師と対戦し、勝つことを”恩返し”という表現を良く使うが(相撲などが顕著)
それを地でやってのけたのがこの男。
79年メジャーデビューした後、81年から先発ローテに入るも2年で12勝23敗、HOU移籍後も2年で15勝17敗と二流先発投手だった。
転機が訪れたのが84オフ。DET投手コーチを辞めたロジャー・クレイグの元に弟子入りしてスプリット・フィンガード・ファストボール(SFF)をマスター。
このボールは現在はスプリッターで通っている球種で、高速フォークともチェンジアップとも言われている(クレイグ自身の解釈は沈む速球)
翌85年、スコットは18勝の好成績を残しさらに86年も18勝で防御率と最多奪三振1位。
さらに恩師クレイグが監督に就任していたSFG相手にノーヒットノーランの強烈な恩返し。
リーグ優勝決定戦でも2勝してMVP(ただしNYMにスコットの2勝のみで2勝4敗でリーグ優勝ならず)
この86年日米野球で来日、日本にもSFFブームが起こった。
翌87年、野球ゲーム「プロ野球ファミリースタジアム87」には彼をモデルとした”すこつと”投手がおり、高速フォークを連投できる投手だった(ゲームの仕様でSFF=高速フォークになっていた)
18→18→16→14と勝ち星を稼ぎ、ついに89年20勝を達成して最多勝。
しかし長年のSFFの多投は肩や肘に変調を起こしており、90年は故障で不振の9勝13敗。2桁勝利は5年でストップ。
(それでも32先発・205イニング投球は僅差のチーム2位)
迎えた91年、36歳の年齢と故障でまともに投げられず4月の先発2試合はいずれも打ち込まれ、そのまま登板せず
5年前にノーヒットノーランを達成した同じ9月25日、引退を発表。
通産124勝、背番号33は翌92年永久欠番に指定された。