エディ・ゲイデル
Edward Carl "Eddie" Gaedel(1925-1961)
1951年8月19日、セントルイス・ブラウンス(現BAL)の選手として代打で登場、ストレートの四球で出塁。代走と交代して以降出場なし。
これだけなら他にも似たような選手はいるが
(例えば大洋・阪神で活躍したパチョレックの兄はMLBデビュー戦で3打数3安打。ところがその後故障で出場が無く、通産1試合10割)
ゲイデルが語り継がれるエピソードになっているのは、彼は小人症で身長3フィート7センチ(約110センチ弱)だったからである。
いきなり小人が代打で登場したことに面食らった審判、ブラウンスのベンチに向かうも登録書類を見せられては出場拒否はできず
プレーが再開されたが、相手投手はもちろんまともにストライクを投げられず。
オーナーのヴェーク(ブラウンスなど3球団のオーナーをつとめ、アイデアマンとして知られた人物で、殿堂入り)のもくろみは成功したかに思えたが、すぐさまコミッショナーとリーグ会長(現在は空席)によってゲイデルの出場を禁止する通達が。
理由は野球協約の「(身体上)不適格選手」に当たるというもの。
ヴェークとゲイデルは抗議したが認められず、かくしてゲイデルの出場はわずか1試合にとどまったわけである。
背番号1/8のユニフォーム(バットボーイのユニフォームで出場した)も1試合でお蔵入り、現在は野球殿堂に飾られている。
フリック・コミッショナーはゲイデルの存在を抹消しようとしたが、既に1試合1打席1四球は公式記録として成立しており抹消は不可。
かくしてMLB史上唯一の小人選手の伝説が残ることとなった。
この男のインパクトは強烈なもので、亡くなった際にはその訃報記事がNYタイムズの一面を飾ったという。