ラインと言っても史上最強のセカンド、ライン・サンドバーグ
(Ryne Dee Sandberg)でも、彼の名前の由来となった豪球投手
ライン・デューレン(Rinold George Duren Jr. 通称Ryne Duren
10年で23勝57セーブにとどまったが、589回で630三振を奪ってる)
でも無い。
そもそもRyneではなくline。恐怖のMendoza Line。
このメンドーサ・ラインでメジャーにその名を残す男
マリオ・メンドーサ(Mario Mendoza)
メキシコ出身で70年PIT入団、74年23歳でメジャー昇格
その頃のPITは世界一2度のマートゥ監督の3次政権(後任のタナー監督で79年も世界一、73年のみ3位負け越しであとは2位以上だった)
こういうチームで、なおかつ遊撃に同時期俊足タベラスが登場。
控えで出場機会は限られていたが、出てきても打てないメンドーサ。
(守備はタベラスよりは良かったので守備固めでは出てた)
その打率は.221→.180→.185→.198→.218と惨々たるもの。
ホームランは5年目にやっと1本。
その男が79年に移籍したのがSEA。
77年に出来た新興球団で、91年までずっと負け越しの弱小チーム。
そんなチームだからメンドーサにも出番はあった。
ちょうど遊撃のC・レイノルズが移籍して遊撃も空いていた。
その結果が148試合(162試合中).198、本塁打1、打点29
373打席で四球9、出塁率.216、長打率.249の悲惨すぎる成績。
3年前の首位打者(76、80、90首位打者で3000本安打、殿堂入り)
ジョージ・ブレットをして「新聞を読んでて気になるのは、誰の名前がメンドーサより下になるかだ」。
この79年のブレットは.329、23本塁打、107打点。
645打席で三振わずか36(メンドーサは373打席で62三振)
かくして、貧打の代名詞としてメンドーサ・ラインなる言葉が誕生。
メンドーサは翌80年114試合.245と自己最高打率を残すもTEXへ移籍
81年も88試合.231と多少打てるようになったが
遊撃にNYYからデント(元NYY監督)がやってきたりして
82年わずか12試合出場に終わりメジャーから消え、母国のメキシカンリーグに活動の舞台を移した。
9シーズンでわずか.215、4本塁打。守備は並レベル。
メンドーサ・ラインは.200とも彼の通産打率.215とも言われてる
どちらにしても貧打には変わりないが。