チャーリー・マニエル(後編)
アメリカに帰った赤鬼。
野球人生で積み重ねた理論、日本で学んだこと。
彼が選んだのは野球界で仕事を続けること。
古巣MINのスカウトから、マイナーの監督に。
マイナーでは基本を大切にする細かい野球とパワーの融合で
9シーズン勝ち越し7、92年AAA級最優秀監督も受賞。
95年CLE打撃コーチとしてメジャーの舞台に戻り、彼の就任から地区5連覇。教え子たちの成長の証でもあった。
00年、地区5連覇を果たしながら世界一に手が届かなかったハーグローヴ監督の解任を受け、ついにメジャー監督に登りつめる。
その1年目、体調不良と経験不足で同姓のマニュエル(Jerry Manuel)
率いるCWSに地区優勝を明け渡し、翌年は地区優勝奪回も
02年途中、チーム改造のため途中解任と初のメジャー監督は苦い思い
04年PHIにGM補佐として加入、05年監督就任。
前任者ラリー・ボーワは元PHIの名遊撃手。闘志を燃やして負け犬軍団に喝を入れ、01年最優秀監督受賞も以降は頭打ち。
短気で選手の信頼も失い、内外にトラブルを抱えていたという。
そのため人身掌握に長け、当時の主砲トーミー(現CWS)の育ての親でもあるマニエルに白羽の矢が立ち、フレゴシ(91〜06PHI監督で93リーグ優勝)ら他の候補を抑えて監督業復帰。
しかし最初の2年は開幕から出遅れ最終的に1、3ゲームと僅差でワイルドカードを逃がし、解任の噂が付きまとう状況に。
それでも信念・信望・辛抱の苦労人はここで真価を発揮
07年NYMの失速があったとはいえ地区優勝、ついに08年は地区連覇
さらにリーグを15年ぶりに制し、WSもTBを退けて28年ぶり世界一。
関わってきたチームをその明るさと人望、さらに長い球暦に裏打ちされた信念と信望をもってことごとく優勝に導いてきた男。
彼の戦いはまだまだ続く。
リーグで退けたJ・マニュエル(00年地区優勝を奪われたときからのライバルで08途中NYM監督)や地区優勝決定戦で退けた前監督ボーワ(LAD三塁コーチ)が挑戦者となって牙をむき
前々PHI監督だったフランコーナのBOSやWCすら取れなかったNYY
連続世界一を阻もうと立ちふさがる敵は多い。
それでも赤鬼軍団の固い結束は新シーズンも崩れることは無いだろう